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2006年2月23日 (木)

南方上座の源流を探る(7)

さて、この「十事の非法」は、それまで不許可とされていた十の事柄に対して、その規制を緩めるか否か、ということが問題になったものだ。

律の規定を緩めることは、素人目には「堕落」のように映るかもしれないが、必ずしもそうではない。そもそも、お釈迦様ご自身も、たとえば布教の際にはその土地の言葉で説法することを許されていたり、より厳格な律の制定を求めたデーヴァダッタをたしなめたりされていたように、生活規範としての律にはある程度「郷に入りては郷に従え」的な融通の利かせ方を認めておられたようなフシがある。

事実、サンガにおいて律は、所属する僧達の合議によって、比較的自由に制定改廃されていたと言われる。仏滅後100年の間に仏教教団は勢力範囲を大きく広げており、お釈迦様生存中のサンガとは、取り巻く環境が大きく異なる地にもサンガが生まれていた。そのような地で従来の律の規定を四角四面に守り通そうとすることはかえって不合理でさえある。従って、それぞれの地でその土地にあったサンガ運営がなされこと自体は、それほどおかしなことでもないのだ。


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