« 南方上座の源流を探る(3) | トップページ | 南方上座の源流を探る(5) »

2006年2月20日 (月)

南方上座の源流を探る(4)

ところで、この事件はもう一つ大きな変化を仏教界にもたらした。それまで口誦のみで伝えられてきた三蔵を、文字で書き残すという動きが現れたのだ。戒律の厳守を旨とする大寺派は、開放的な無畏山派の活動により、知らず知らずのうちに伝承の純粋さが損なわれていくのではないかということを危惧した。そのためそれまで頑なに守ってきた「純粋な伝承」を、劣化する前に文字で書き残しておこう、と考えたものらしい。

インドの宗教界ではヴェーダ以来、聖典は口伝されるものというのが常識だったので、このスリランカ仏教界の三蔵の書写は、まさに画期的な出来事だった。およそ紀元前1世紀のことというから、これは北伝の仏教関係の聖典が書写されるようになるずっと以前のこと、ということになる。北伝の漢訳アゴンがさまざまな部派に伝承されていた経典の寄せ集めであるのに対して、南伝のパーリ三蔵が今日まで完全な組織を留めているといわれるのは、まさにこの時の書写の成果といえるだろう。


« 南方上座の源流を探る(3) | トップページ | 南方上座の源流を探る(5) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/75967/8703275

この記事へのトラックバック一覧です: 南方上座の源流を探る(4):

« 南方上座の源流を探る(3) | トップページ | 南方上座の源流を探る(5) »