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2006年2月19日 (日)

南方上座の源流を探る(3)

現在パーリ語と呼ばれている聖典原語も、ピシャーチャ語というこの地方の言葉を原型とするもので、これはお釈迦様の母語であるマガダ語とは別系統の言葉だとされている。

さてさて、この部派は開教から200年ほど経ったころに大きな分裂を経験することになる。仏教の保護に熱心だった当時の国王が、無畏山(アバヤ・ギリ)に大きな寺を建立・寄進したのだが、その寺の住職に、王家の親族にあたる僧侶を据えさせた。ところがこの住職が俗っ気の抜けきらない僧で、戒を犯してしきりに在家者と交流をもったということで、本山から破門されてしまったのだ。

この事件をきっかけにしてスリランカの仏教界ではその後1000年の長きにわたって、本流の大寺派と、この事件により分立した無畏山派との二派が並び立つ分裂状況が続いた。


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