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2006年2月24日 (金)

南方上座の源流を探る(8)

しかしとにかく、この十事の非法の問題をきっかけとしてサンガは分裂し、従来の規定の堅持を主張する立場が上座部となり(ただしこの時点で自派を上座部と呼んでいる形跡はない)、十事を認める立場が大衆部となった。そしてその後、この根本分裂を契機として、それぞれがまたいくつかの部派に別れ、アショーカ王の時代には、18~22と言われる数になっていたそうな。


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