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2005年11月 6日 (日)

まさに雑感―サブカルチックな「空」について

すくなくともインド・チベットにおいて最終的に正当とされた修道論の説に従えば、空は、意識を分析の対象に集中した特別な禅定(止、心一境性)のなかで、明晰な意識によって対象を分析しつくすこと(観、個別観察)によって得られる、極めて意識的・理知的な無自性の観念で、これはたとえば「自分が宇宙に溶け出してしまう」といった、無意識的・感覚的なとは一線を画すものです。

ですから、自然に何かのきっかけで入ってしまうような、いわゆるトランス状態のようなものは、一つの「悟り」ではあるかもしれませんが、そういう意味でのある種の「覚醒」は、仏教にいう「悟り」からはちょっと外れているんじゃないか、と思います。「宇宙と一体」という字面だけみると、むしろヒンドゥー教に近い感じですしね。

もちろん、仏教といっても多種多様で、たとえば、宇宙と一体となる、というような感覚はもしかしたら中国の華厳学や真言密教的な世界観、あるいは禅宗などの教義とはマッチするかもしれませんので、仏教的じゃない、と言い切ってしまうことはむずかしいですけれど。

たしかに、原理主義的に、発祥の地であるインドで説かれた説が仏教のもっとも純粋な形だと言うことが妥当かどうか、ということについては議論の余地はあるかもしれません。しかしそれにしても、自己融解的な純粋経験のようなものが本当の意味での「悟り」ということであるならば、その感覚を説明するのに、なにも仏教を引き合いにださなくとも良いのではないか、とも思うのです。



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