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2005年10月28日 (金)

輪廻についての断章(2)

ところで、輪廻のということを考えるとき、我々は素朴に「肉体の終わりに魂が別の生に移る」というようなイメージを描くと思います。

心身二元論をとるときには心と身体は二律背反の関係になるので、我々は上で見たような「私」を、肉体ではないもの、と言う資格で必然的に心と同置することになるのですが、それをそのまま仏教に持ち込んでしまってはいけないでしょう。

仏教でも素朴な形での心身二元論的な言説が出てくることはありますが、公式見解としては「五蘊」ということを説きますよね。

五蘊とは五つの集まりということで、具体的には色(色・形)、受(感覚)、想(想念・イメージ作用)、行(潜在力、識(識別知)の五つですけれど、「私」という存在は、この五つの範疇の重なりあいとして認識される、と仏教では説きます。

しかし、これは二元論に対する五元論を説く、というものではありません。この説が説かれた意図は、五つの原理があるということ示そうとするのではなくて、そもそも、「私」という言葉に対応する何かがこの五つのいずれにも存在しないということを言うためのものだったと考えられます。


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