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2005年6月29日 (水)

~閑話休題:トリビア

juzuキリスト教の修道院でも神への礼拝時には(キリスト教式の)合掌をするということらしいのですが、これは仏教の影響らしいです。
修道士が持つロサリオも仏教僧が持っていた数珠に由来するとか。ロサリオのロサは薔薇(ローズ)から来ているもので、これは数珠の原語ジャパマーラーの前半「ジャパ」が、アラビア語で薔薇を意味するジャバの音に似ていたため、混同されて伝わったことに由来するのだそうです。

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2005年6月26日 (日)

~閑話休題:仁王像(2)

niou2仁王像があのような形態をとっている意味を対話形式で解説しているものがありましたので、転載してみます。(西村公朝『やさしい仏像の見方』より)


▲仁王には阿形と吽形がありますが、あれはどういうこと
なんでしょうか?
●あれは陰陽の表現です。しかし一般には、阿は口を開い
て発する声の最初であり、呼は口を閉じて発する声の最後
なんだといわれています。この両像は、ふつうは仁王門に
向って右側が阿で、左側が吽なんです(東大寺南大門の場
合は左右逆)。
 仁王はただ前方をにらんでいるだけではありません。仁
王門を入る人が、両側の仁王からにらまれる位置があるん
です。作者はそういう位置をまず設走して、像の高さ、距
離を測り、目の位置、角度、体のひねり具合をちゃんと計
算するのです。そしてこんどは、その位置から風をおくり
同時に仁王の方から風をうけるというような状況を想定し
て像を作るのです。
▲そうすると仁王の天衣や裳は、ただたなわいているたけ
ではないのですか?
●ええ、風のふき方を、天衣とか、腰にまいた裳の掌によ
って表現しているんです。
▲ところで仁王の風は何を意味しているのですか?
●それは、境内に鳴り響き響く仏法の声と仏法を求めに行
く人との間に生じる気合の象徴なのでしょう。また、境内
に入ろうとする魔ものを防禦する仁王の気焔を表わしている
ともいえます。

[以上]

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2005年6月25日 (土)

~閑話休題:仁王像

niou仏閣の山門にあって来訪者を威圧的に見据える二体一対の像。俗に「あ・うんの像」などとも言われるこの仁王像は、またの名を金剛力士像といいます。

金剛力士は原語ではvajradhara、vajrapANiと呼ばれていますが、これは「金剛杵(vajra)を手にする者」(=金剛を執る神:執金剛神)という意味で、インドでは夜叉神の類とされていたようです。

仏教の諸経典には釈迦如来の倶生神(その人個人の守護霊のようなもの)であるとも説かれているそうなのですが、釈尊を慕って入門し、弟子として身辺を警護した実在のボディーガードをモデルにしているのだという説もあるようです。

一方、インドでは元来宗教施設の入り口の門の両側に杖を持った門番の像を置く風習があったそうで(ア・ウンだったかどうかはよく分かりませんが)、ア・ウンの二体一対の仁王像を門に置くようになったこと自体はそちらに起源を求めることができそうです。

という訳で、現在の形の仁王像の由来は、ひとまず上の二つの伝承が混ざってできたものと考えてよさそうですね。

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2005年6月23日 (木)

~閑話休題:般若経と羅什(2)

そこで、前秦という王朝の王がお抱えの僧侶の進言を容れて当代随一の名声を誇っていた羅什を呼び寄せ、翻訳と講義を依頼することになったのです。経緯が上記のようなものであったため、当然、中心課題は『般若経』の翻訳と解釈でした。

羅什の訳は、羅什自身が両国語に堪能で、さらに国家事業として財政面・人材面での全面的なバックアップを受けてなされたものなので、高レベルなのに「訳文だけを読んで理解できる」という、画期的な(笑)ものでありました。 そのため、それ以降は、羅什の訳がもっとも良く読まれるようになりましたし、今日でも『般若経』の本体というべき『大品般若経(二万五千頌般若)』や『小品般若経(八千頌般若)』については、一般に羅什の訳が底本に用いられます。

さて、羅什が中国人の『般若経』理解に対して果たした貢献は、経典そのものの翻訳だけにとどまりません。むしろ、その与えた影響の大きさから言えば、『中論』、『大智度論』(未完)を翻訳・紹介し、『般若経』の精髄を「空」と捉え大乗の理論的基盤を整備したナーガールジュナの教学を伝えた、という点にこそ求められるべきでしょう。

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2005年6月22日 (水)

~閑話休題:般若経と羅什(1)

『般若経』は大乗のアビダルマと称されるほど包括的な内容をもった膨大な経典群です。そもそもこの経典群がインドの地において単一の経典とみなされていたかどうかにも疑問が残るとろではありますが、なんにしろ、これをもっともまとまった形で中国に持ち帰ったのはかの有名な玄奘三蔵でありました。

「もっともまとまったかたちで」、と言ったのは・・・。
般若経系の経典には『○○般若経』という名前のつくものだけでも40強ほどあります。玄奘が持ち帰った『大般若経』というのは、そうした雑多(?)な般若経をもすべて一まとめにした一大叢書、いわば『般若経セット一式』のようなものだったから、ということです。

ところで、『般若経』は初期大乗経典の中でも最も古いものといわれていて、その中枢部分である『大品般若経』や『小品般若経』の原型は、玄奘がインドに渡る数百年前には成立していました。後漢の時代、張騫の遠征によって中央アジアは漢民族の領土となりますが、その地方の仏教僧によって訳された『般若経』が数種類、既に漢の都、洛陽にまで伝わっていたといわれています。

『般若経』は伝来当初から中国人にも人気があり、当時は仏教の解釈自体が、『般若経』をどう理解するか、ということをめぐってのものとなっていたほどなのだそうですが、いかんせん、当時の翻訳は、訳にあたった僧自身が中・印どちらか一方の言語にしか通じていなかったということもあって、言ってみれば日本人にとっての「葬式の読経」のようなもので、訳文のみでは読んでも意味がなかなかとれず、解釈論議も紛糾したそうです。

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2005年6月20日 (月)

~閑話休題

インドで一般的だった仏教的な禅というのは、一つの対象に意識を集中させる、というものでした。

そのようにして得られた心の完全な集中状態を「心一境性」というんですが、これを獲得したとき「止」(シャマタ=静寂)が完成した、と言われます。

また、インド仏教の禅では、その完全な集中状態を維持しながら、その対象のあり方の本質を探る分析的な考察を行っていきます。これを「観」(ヴィパシャナー)といいます。

禅定のことを止観と表現することがありますが、上のような関係になっているんですね。

そういえば最近、学生のころ禅宗系の駒沢大学に学んだというスリランカの高僧が「ヴィパッサナー瞑想」(だったかな?)という瞑想法を提唱してちょっとした話題になっていますが、このヴィパッサナーというのは(少なくとも語源的には)上のヴィパシャナーと同じもののようですね。

ところで禅定者はこのとき、上座部系であれば基本的に四諦を観じることになりますが、大乗系であればここで「空」を観じることになります。

「空」と「無」は仏教書などでもよく同じ意味に使われていたりしますが、インド人が禅定の際にとっていたこのような思考法について知っていると、少なくともインド人にとっては、「空」という概念がいわゆる「無」と同じものではなかったようだ、ということが見えてきますね。

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2005年6月13日 (月)

~閑話休題・・・日光に法華の滝はないものか?

kegonところで、どうして突然こんな話をしているのかというと、実は私が先週末、華厳の滝に行ってきたから、というだけの話だったりします(苦笑)。
観瀑台の脇の土産物屋の窓ガラスに貼ってあったこの「巌頭の感」のレプリカのコピーにふと目が留まり、はじめてこの言葉を知った頃のことを思い出したので、ちょっと書き出してみたというわけです。(ちなみにレプリカは「売り切れ」とのことでした)

ホレーショの哲学というのは『ハムレット』にある有名な一節「ホレーショよ、この天と地の間には、おまえの哲学が夢見る以上のものがあるのだ」(wikipediaより)をもじったものでしょうが、それを『不可解』の一言で片付けてしまうあたり、藤村は文学者ではありえても、哲学者や思想家という風ではないですね。

余談に余談を重ねて恐縮ですが、日光は俗に「四十八滝」と言われるほど滝の多いところですけれど、地図を見てみると、中禅寺湖から流れでる大谷川の水系にある規模の大きな滝には、中禅寺湖から近い順に華厳、(涅槃)、阿含、方等、般若といった名前がつけられていることに気付きます。これ、天台の五時の教判に引っ掛けてのものですよね、多分。順番もそのままだし。そういえば日光の開山勝道上人は天台宗の人でしたっけ。

・・・あれ!? 五時経だったらそれこそ天台宗で一番重視されてるはずの『法華経』にちなんだ滝がなきゃマズイんじゃないの・・・?と思って探してみたのですが、見つかりませんでした。でも代わりに(?)日光にはアイスバックスという(アイス)ホッケーのクラブ・チームがありますよね・・・!

お後がよろしいようで(笑)

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2005年6月11日 (土)

~閑話休題・・・日光に法華の滝はないものか?

hujimura「悠々たるかな天壌、遼々たるかな古今、五尺の小躯を以ってこの大をはからんとす。
ホレーショの哲学、ついに何等のオーソリティに価するものぞ。万有の真相は唯だ一言にして悉す。 曰く『不可解』
我、この憾みを懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし。
始めて知る大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを」

(画像は旧制一高のHPより)

弱冠16歳の旧制一高の学生藤村操が、上記のいわゆる「哲学的遺言」、”巌頭の感”を詠んで華厳の滝から身を投げたのが今からおよそ100年前の明治三十六年(1903年)。この事件は当時の世相に波紋を広げ、多くの後追い自殺者を呼んで大きな社会問題になったそうです。

偶々この事件当時一高で藤村に英語を教えていたのがあの夏目漱石。漱石は後年ウツ病傾向に悩まされますが、その引き金となったのがこの事件だった・・・などとまことしやかにささやかれたりもしています。そういえば『我輩は猫である』にもこの事件をあてこすったような文句が出てきますね。

今と昔で情勢が異なることも大きいのでしょうが、現代を生きる、それも今の私にはこの言葉、実のところそれほど響いてくるものではありません。しかし、藤村の死が当時の若者達に大いなる衝撃を与えたことは間違いなく、また同時に相当に美化されたようでもあります。そのあたり、私には彼の自殺がなんとなく尾崎豊の死と重なって見えます。尾崎自体、あまり知りませんけれども・・・。

さて、華厳の滝の滝つぼからは涅槃の滝という名の別の滝が谷を流れ下っていきます。華厳の滝の岩頭から身を投げた藤村は、果たして涅槃にたどり着けたのでしょうか・・・

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2005年6月 2日 (木)

~閑話休題・エピソード1(3)

従って、なすべき修行を全て修めて、望めば解脱がかなうという大菩薩も、衆生利益の為にあえて業を作って輪廻し、生まれ変わり死に変わりするその場その場で衆生利益の為に活動するのです。このように衆生の為にあえて輪廻にとどまることを「大悲闡提」などといいますが、これもまた菩薩の善巧方便の一つです。

よく禅寺などで高僧がなくなるときに「遷化」という言葉を使いますが、これは、世界を「遷」して衆生を教「化」する、という意味で、上のような大乗菩薩の理想を背景としている言葉な訳です。

まとめると、「悟った」のちも生きていたり、輪廻したりするのは、過去世から積もり積もった業のためであり、「小乗」教徒はその浄化の修行の為に行き続け、大乗教徒は利他業(という仏になるための修行)の為にあえて業を作ってでも輪廻し続ける、ということになります。

(エピソード1・完)

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