仏教伝播史

岡倉天心の代表作『東洋の理想』は「アジアは一つ」という言葉で始まっています。

多種多様な民族と文化が入り交じり、栄枯盛衰のドラマを繰り広げたアジアを、天心はいかなる意味で一つだと言ったのでしょうか。天心の主張は、究極普遍的なるものを希求する精神性こそが、アジアを一つ二まとめる紐帯であるというものです。

仏教がこの究極普遍的なるものを求める精神性の一つの発露である、ということに異論を挟むものはいないでしょう。実際、仏教は2500年の時のなかで東アジア一帯に根を下ろし、そこに暮らす様々な民族を結びつけてきました。その意味で、アジアは仏教文化圏だ、といっても過言ではないはずです。

では仏教はどうしてアジア一帯に広まることができたのでしょうか。仏教の伝播史をたどることで、私たちはその理由に迫ることができそうです。

これから何回かにわたって、このテーマについて私なりに考えてきたことを綴ってみたいたいと思います。

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目玉焼な人生観

モノゴトにはたいてい良い面と悪い面の両方があるのだけれど、私たちの目にはどうやら、一度一方の面に焦点を合せてしまうと、他方のことが見えなくなってしまう、という性質があるようだ。

ここにリンゴがあって、一カ所、虫に食われた部分があるとする。これを「虫食いのリンゴ」と呼び、そちらをフォーカスしてしまうと、意識は食われた部分にばかりに向かうことになる。虫に囓られた部分がたとえ全体の5%に満たなかったとしても、残りの95%を無視して、私たちはそれを「虫食いリンゴ」と見なしてゴミ箱に捨ててしまうのだ。なんとまぁ、勿体ないことだろう。

しかしそれなら、逆もまた然り、だ。たとえ95%ダメと見えても、残った5%の良いところに目をつけて、それを拾いあげる事だってできるはずだ。「残り物には福がある」ということわざもあるくらいだから、意外とその部分がおいしかったりするのかもしれない。

モノゴトに必ず明暗の両面があるというのなら、常に明るい面を見ていこう。そうした心がけはついつい忘れがちになってしまう、というのでれば、「目玉焼き」を自分のシンボルにしてみるというのはどうだろうか。「目玉焼き」は英語でSunny-side-up。これを声を出して読み上げてみよう。ほら、「明るい方に注目!」と言われている気がするでしょう? (´∀`)

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文殊の智慧(1)

普賢菩薩と共にお釈迦様の脇士となり、釈迦三尊像を構成する文殊菩薩。
獅子に乗り、左手に剣、右手に経典を持った姿で図像化される文殊菩薩は
一般に「智慧の菩薩」と言われているのだけれど、そこにいわれている「文殊
の智慧」の内容がどのようなものなのか、ということは実のところ余り知られて
はいないのではないかと。

  智慧というのは般若。つまり般若波羅蜜が文殊の智慧ということで、
  ようするに「空」ってことでしょう?『般若心経』のシキソクゼークーっての。

大方の理解はこんなものでしょう。

文殊は最初期から後年にいたるまで、実に多くの大乗経典に登場する。しかも
そのほとんど全てで主役級の扱いで、大乗の教えについては、お釈迦様よりも
むしろ文殊が主体となって説いていると言えるのではないか、と思えるほどだ。

この文殊の説く教えには共通の特徴がある。それが「不二の知」ということ。
これは「煩悩と涅槃は不二である」「凡夫と仏は不二である」などと使われる。
つまり、我々が対立概念だと思っているものを持ってきて、それらは全て不二
である、と宣言するのが実に文殊の教えの特徴・・・すなわち「文殊の智慧」なのだ。

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南方上座の源流を探る(10)

この「雪山部」という部派は、後の書物では「本上座部」とか「根本上座部」と呼ばれるようになる。その意味ではこのトピックのお題であった、本上座部の「本」とは?ということの答えはココに求められる、と言ってもいいのかもしれない。しかし・・・


[つづく・・・かな?]

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南方上座の源流を探る(9)

★スリランカ上座部の源流は?
スリランカに本格的に仏教を導入したのがマヒンダという、西域地方の僧であったことは上に述べた。マヒンダはウッジャイニーの丘の上から天空に上り、スリランカの地に空から降り立ったということになっているが、実際には、マヒー川を下って海路スリランカに赴いた、と言うことらしい。

マヒー川流域には当時「雪山部」(ヒマヴァット)と呼ばれていた上座部系の一派が勢力をもっていたと言われている。マヒンダがインド西部の言語による三蔵を伝えたということから考えても、スリランカに導入されたのはこの「雪山部」の伝統であったと考えてよいのではないかと思う。

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南方上座の源流を探る(8)

しかしとにかく、この十事の非法の問題をきっかけとしてサンガは分裂し、従来の規定の堅持を主張する立場が上座部となり(ただしこの時点で自派を上座部と呼んでいる形跡はない)、十事を認める立場が大衆部となった。そしてその後、この根本分裂を契機として、それぞれがまたいくつかの部派に別れ、アショーカ王の時代には、18~22と言われる数になっていたそうな。

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南方上座の源流を探る(7)

さて、この「十事の非法」は、それまで不許可とされていた十の事柄に対して、その規制を緩めるか否か、ということが問題になったものだ。

律の規定を緩めることは、素人目には「堕落」のように映るかもしれないが、必ずしもそうではない。そもそも、お釈迦様ご自身も、たとえば布教の際にはその土地の言葉で説法することを許されていたり、より厳格な律の制定を求めたデーヴァダッタをたしなめたりされていたように、生活規範としての律にはある程度「郷に入りては郷に従え」的な融通の利かせ方を認めておられたようなフシがある。

事実、サンガにおいて律は、所属する僧達の合議によって、比較的自由に制定改廃されていたと言われる。仏滅後100年の間に仏教教団は勢力範囲を大きく広げており、お釈迦様生存中のサンガとは、取り巻く環境が大きく異なる地にもサンガが生まれていた。そのような地で従来の律の規定を四角四面に守り通そうとすることはかえって不合理でさえある。従って、それぞれの地でその土地にあったサンガ運営がなされこと自体は、それほどおかしなことでもないのだ。

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南方上座の源流を探る(6)

★根本分裂
仏教教団は仏滅後100年ほどして、「十事の非法」についての判断をめぐって、上座部と大衆部に分裂したといわれている。この分裂は仏教史上「根本分裂」と呼ばれている。初めて本格的にサンガが分裂した、という出来事だからだ。

ところで「十事の非法」という言葉には注意が必要かもしれない。ここでいう非法というのは、仏陀の教え=法(dharma)に非ずということではなくて、律で浄・不浄という時に不浄(akalpa:僧侶が受取ることを許可されていないもの)とされるもの、を意味する言葉なのだ。

つまり、根本分裂の際に問題になったのは律の解釈についてであって、釈尊の教えをどう解釈するか、ということが問題になったのではない。この時点ではまだ、上座部・大衆部といっても、教えの理解に隔たりはなかったのだ。

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南方上座の源流を探る(5)


その後スリランカには、インド本土の仏教界におけるナーガールジュナの存在にも匹敵するような大論師ブッダゴーサが現れた。彼はシンハリ語で書かれていた論典を整理しながらパーリ語に訳しなおすなどの作業を行い、その後、『清浄道論』(ヴィスディマッガ)という、北伝アビダルマの大毘婆沙論に当たるような畢生の大著を表して南方上座部の教学を大成した。

しかしながら彼の後、スリランカ仏教界には彼の偉業を継ぐような目立った論師は現れず、密教の流行などともあいまって、本流である大寺派の勢力は一時衰微する。

その勢力が回復するのは11世紀ころ。仏教の復興を志す国王の支援のもと、サーリプッタ長老を中心とした復興運動が実を結んで、大寺派は再び名実ともにスリランカの国教の地位を回復する。この時、国王の宗教外交によって、大寺派の教義はミャンマー、タイなどにも伝えられ、それらの国でも国教の地位を占めることになった。

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南方上座の源流を探る(4)

ところで、この事件はもう一つ大きな変化を仏教界にもたらした。それまで口誦のみで伝えられてきた三蔵を、文字で書き残すという動きが現れたのだ。戒律の厳守を旨とする大寺派は、開放的な無畏山派の活動により、知らず知らずのうちに伝承の純粋さが損なわれていくのではないかということを危惧した。そのためそれまで頑なに守ってきた「純粋な伝承」を、劣化する前に文字で書き残しておこう、と考えたものらしい。

インドの宗教界ではヴェーダ以来、聖典は口伝されるものというのが常識だったので、このスリランカ仏教界の三蔵の書写は、まさに画期的な出来事だった。およそ紀元前1世紀のことというから、これは北伝の仏教関係の聖典が書写されるようになるずっと以前のこと、ということになる。北伝の漢訳アゴンがさまざまな部派に伝承されていた経典の寄せ集めであるのに対して、南伝のパーリ三蔵が今日まで完全な組織を留めているといわれるのは、まさにこの時の書写の成果といえるだろう。

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